八転び七起き

はじめましてKRZです。

2021年4月21日

田矢先生は本物の科学者だった。なぜかと聞かれるとその理由はよくわからない。ただ漠然とそう思うからだとしか言えない。では逆に本物の科学者とはどんなひとかと聞かれれば、それは田矢先生のような科学者だと答えてしまう。やはり田矢先生の偉大さは言葉にはできない部分にあるのかもしれない。言葉にできないことは無理に表現すると間違って伝わったり、誤解を招く恐れがある。だから言葉ではない方法で伝えるのがふさわしい。例えば田矢先生が東大出身であることや大学教授だったことなどは大した事柄ではない。そんな人は沢山いても決して本物の科学者であるとは限らないからだ。田矢先生がボクに残してくれた大切なことがあるならばそれは生き様のカッコよさにある。なんというか訳も分からずとても粋だった。田矢先生は研究の世界では夜空を突っ走る彗星のようなスーパースターであり、ボクも20代のころから存じ上げていた。学会の大きなホールの壇上で見かけると田矢先生はまるで紅白歌合戦小林幸子のようにきらびやかでオーラに満ち満ちていた。そんな若いころは田矢先生も同じく若かったのだが、ボクがシンガポールに赴任したときに偶然なことには日本の研究所を退官されてい同じ研究所の教授となられていた。20年も前からあこがれていた田矢先生にお近づきになれると思うとワクワクしていたものだ。だから初めて教授室に挨拶に行ったときのことはよく覚えている。部屋の壁には高価な額のなかに飾られたエメラルド色に輝く優艶な蝶の標本があった。机の上にはメロンくらいの大きさの茶色系に仕上げられた地球儀があった。一通りきょろきょろしたあとで田矢先生を見上げるとニコニコされていて、「今晩ちょこっとどうかなあ」とディナーのお誘いを頂くこともできた。そうして田矢先生からたくさんのお話を伺く日々が始まった。その日はRochester ParkのBordersというお店に行ったのを覚えている。2009年の春のことだった。