八転び七起き

はじめましてKRZです。

2021年7月29日

昨日例のワクチンをうってもらった。1回目なのであまり疼くこともないのかと思っていたが案の定、昨晩は特に痛くもなかった。その代わりに左上の奥歯の銀歯がカランという乾いた音を立ててはずれた。寝る前に歯を磨いていた時のことだ。それは本当に突然の出来事であり、予感も虫の知らせもなかった。だから歯磨きをしていたボクはてっきり右下の奥歯の治療中の虫歯にかぶせてある詰め物が取れたのだと思った。しかしカランという音は直感的に別のものが外れたなとも思えた。ベロで確認したら治療していない上の奥歯から外れたものだった。パソコンデスクの上にひとつ置かれた鈍く光る銀歯。思い起こせばまだ大学院生のころに治療して貰ったものである。あの時は本当に徹底的にすべての虫歯を治してもらい、人生で二度と歯医者に世話にはならないと強く誓ったわけだ。しかし月日が経つというのはこういうことをいうのだろう。銀歯はもろくも外れ落ち、そして銀歯で支えられていた本来の自分の歯の部分は築40年の木造モルタルアパートのようにぐしゃっと潰れた。そこでふと思う。もしも歯医者さんがない世界だったら、みんな50歳を過ぎれば歯が抜けてきてかたいものも食べられなくなりやがては毎日おかゆをすするようになるのだろう。リブアイのステーキなんて食べたくても食べれなくなるのだ。悲しい話である。好きなものを食べたいうちに食べておくのと、長生きするために食べたいものも我慢するのと、どちらがいいのだろうか。この問いかけは、老後のために旅行などの無駄遣いせずに貯蓄をするのと、楽しめるときに世界中を飛び回っておくこととどちらがいいのだろう。老いは音もなく忍び寄ってくるようだ。そして

2021年7月5日

お世話になった恩師にお中元を贈るために昨日の日曜日に赤羽のイトーヨーカドーに行った。昨年は世の中いろいろあったことからお中元やお歳暮などのお届け物は控えていたので、2年ぶりの贈り物である。お中元コーナーにはお客さん10人分くらいの受付カウンターが設けられていてその会場の入り口には整理券の発券機が置いてあった。ボクはキョロキョロしながらこの整理券を一枚手に取った。それを見ていた係の女性が発券機に繋がっている別の機械のボタンを押した。そして自分の番号が電光掲示板に表示された。整理券のしくみは実にオートチックである。さらに担当の女性が整理券を持っているボクを見つけて近づいてきてくれた。やはりこの整理券を持っていることでお客さんが一目瞭然に見つけられるという極めて便利なオートマチックシステムだ。さて、お中元コーナーに到着してほとんど待たずに対応してもらえたことで少しだけ機嫌がよくなったボクは、愛想よく担当の女性ににっこりとあいさつをした。女性も丁寧に挨拶をしてくれた。そこでボクはなにか直感的に空間の滑らかでない部分を察知していた。早速本題にはいると自分の住所と送り先の住所を紙に書くように言われたので、送り状の申込用紙なのだろうと思い、配達員さんにも読めるきれいな字でボクは書き始めると、それを目の前でその女性が反対から読んで即座にパソコンに入力して印刷してくれた。これまた実にリアルタイムのシステム化がなされている。ぶっちゃけ、考えてみればどれもこれも直接行えばいいことを全部間接的に進めているのが実におもてなしの精神なのだなあ感心してしまった。イトーヨーカドーと言えばセブンイレブンnanacoカードが使えるので有名である。お中元といえども支払いはもちろんnanaco払いである。しかしよく考えたら必要な料金分をチャージしていないことにボクは気が付いた。その場合、nanacoではなく現金で支払えば済むが、女性は「あ、だいじょうぶですよ~!」と不安そうなボクに笑顔で対応してくれた。必要な分の現金を女性に手渡すと女性はおもむろにnanacoのリーダーの機械で「必殺、nanacoチャージ」してくれてボクにカードを手渡してくれたので最終的にはボクは予定通りnanacoで支払ができた。まさにミラクルサービスの3連発である。お届けはいつがよろしいでしょうかと聞かれたので、急ぎませんよと答えたら「承知いたしました。では10日間前後でほどよく届くように手配いたします」と返事があった。ほどよくとはどういうのをさすのだろう。きっと贈ったことを忘れるころに届いてお礼の連絡が来て少しびっくりするくらいという意味合いなのかもしれない。それともほどよくお中元のあまり届かない閑散とした時期に届くようにとのことなのか・・・。よくわからないが中元を出し終えてとてもいろいろ考えさせられたなあと思ったがやはりイトーヨーカドーは素晴らしいと思った。

2021年7月4日

神奈川で大雨が降ったらしい。昨日のあさはいつものようにJRに乗ろうと駅にいくとホームにはすごい人が沢山まっていたのでおもわず、「ん、今日は本当に土曜日なのか?」と不安になった。しかし

2021年7月3日

鉄が欠乏すると元気がなくなるらしい。少し考えれば当然のようにも思える。なぜなら鉄は赤血球には大事な成分だからだ。さて、鉄を多く含む食べ物はいろいろあるが、やはりナンバーワンはレバーだろう。レバーと言えばなんといってもスタミナ注入レバニラ炒めだ。妹からそんな鉄と元気の関係を聞いた次の日に、ボクはさっそくセブンイレブンでレバニラの総菜を買って食べた。そして元気が出るかどうか様子を伺っていた。しかし元来ボクは元気がないわけではないのでレバニラの効果があるのかどうかなどは分からない。しかもこういうのはすぐにメキメキと効果が出てくるものでもないような気はする。そもそもが何かを食べたから元気が出るような気がするというのは殆どが「気のせい」だと思う。こういうのをプラセボ効果というが、プラセボという言葉は喜ばせるというラテン語に由来しているらしい。プラセボというのは医学的には薬効の比較に使う偽の薬のことだ。偽の薬で喜ばせてあげるという意味なのだろうか。まあ言葉はともかくも、薬の効果が気のせいではないこと検証する際にプラセボグループを設定して薬の効果を客観的に比較するといわけである。製薬会社が実施する臨床試験ともなると気のせいなどという不真面目なことは言えない。このような試験は何十億円もかけて実施されるもので、医学研究のなかではもっとも大がかりで信頼性があり、そして影響力も偉大である。承認される前の最終試験などは数百人単位の2グループに分けて、片方は薬で片方は偽の薬を飲んでもらう。そんな大真面目な試験なのにプラセボグループでも薬の効果が出ることがある。「うそちゃうか~?」とビックリするくらい人間の心理というのは面白い。基本的にはこのような試験に参加してもらえるボランティアさん(患者さん)はお薬の効果を必要とするなにかの病気を持っているわけであり、そのお薬の効果についても事前に説明を受けるわけだ。だからどんな効果が出るのかなどの「手の内」は分かっているわけだが、自分に割り当てられる薬が偽物かどうかは分からないようになっている。たとえば鉄の配合された錠剤とまったくなにも入っていない錠剤が見た目が区別できないように作られてボランティア患者さんは目隠し状態で飲むわけだ。もちろん本当の目隠しはしない。サングラスもしない。そして何週間か経って、元気が出たかどうかをご本人の感想としてアンケート回答してもらうと、鉄の入っていない偽の薬を飲んでいても、「そうねえ、なんか元気が出たような気がするかも~」という人が何割か出てくるのである。全く、病は気からというか、鰯の頭もなんとやらである。しかもそれが自分自身で回答する形式ではなく、ただの数値的な検査機器で変化があるかないかを調べる場合でもプラセボ効果は出るのだから笑えてしまう。ネットなどに載っている「東京の名医ランキング」などのトップにおられるお医者様なんかは、その先生に診てもらってちょっと薬をもらうだけですごいプラセボ効果があるのだろう。人間というのがそもそもよくできているということだ。笑うだけで福がきて、元気になるのも同じ作用なのだろう。これも立派な医学的効果というのであれば病院の内科や外科のほかに「プラセボ科」を作るというのもありだろう。保険は使えるのだろうか。

2021年7月2日

ここのところ雨が本格的に降っている。そんな日にはボクの持病の肩こりや首こりがいつものようにうずく。もしもこの持病がなかったら人生大きく変わっていたのかもと思うこともある。そもそもこの首こりの問題で自動車の運転が出来なくなった。その当時はかなり落ち込んだ。だからこの持病さえなければいまでも車であちこち行っていたことだろう。週末になれば海やら山やら好きなところにいく。実に自由自適な生活だ。しかしよく考えれば車がなくても海や山には行ける。むしろ首都圏生活では大混雑にまきこまれてしまうのが落ちなのかもしれない。そう考えるとまんざら車に乗れなくてもいいのかもしれないとも思える。しかし車があるとちょっとした買い出しにも便利である。うちの近所には大きな駐車場のあるジャスコイトーヨーカドーもある。しかし沢山買っても家が狭いので備蓄品を置く場所に困る。だからこの点でもあまり車にはメリットがないように思う。それに車を持つことはお金もかかる。それを考えれば歩きまわっている方がよっぽど健康的である。自己分析してみたが、結局は車に乗っていた若い頃が懐かしく輝いて見えるだけなのかもしれない。首が原因で車に乗れなくなったのは仙台に引っ越した時期なので今から20年前になる。それまでの東京暮らしではよくお台場などにドライブしたものである。しかしさまようようにあっちゃこっちゃドライブをするというわけでもなかった。そうか、ドライブのある生活を懐かしく思うのは大阪時代の派手に車を乗り回していた時期が強烈に印象深いからだろう。大阪時代は8年間あって、その間はずっとトヨタカローラにのっていた。トヨタカのローラではない。トヨタカローラだ。車そのものは1代目と2代目の2台のカローラに乗ったことになる。1代目のカローラ広島大学時代の後期、つまり大学4年生のころから乗り始めて大阪に進学してそのまま引っ越しして乗ってきた。大阪には親父と2人で交互に運転しながら山陽道を走ってきた。後ろの席には冷蔵庫と段ボールがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。その何年か後にこの1代目のカローラはエンジンがだめになってきた。その時はどうにもこうにも自分では修理できないので広島の親父(車の整備師である)に診てもらうために山陽道をエンストしながら生還したが、結局は治らなかったので廃車にすることになった。その時は少し悲しい気持ちになったものだ。やはり長年乗り回した車というのには愛着が出てくるものだ。結局は同じような白の少しだけ新しいカローラの中古を親父が見つけてきてくれてそれに乗って大阪に帰ってきた。そんなこんなで大阪時代も終わり近くになって、その車は結局は東京には持っていけないので大阪で廃車にすることになった。この2代目のカローラも激しく乗り回した。どちらも愛着があり過ぎる。だからいまだに車に乗れたらなあと懐かしく愛おしく思うわけである。大阪の思い出の多くは車で行った場所で起こったエピソードがほとんどである。今晩はそのどれかの思い出を夢で見るかもしれない。出来れば楽しい思い出であってほしい。