八転び七起き

はじめましてKRZです。

2021年7月2日

ここのところ雨が本格的に降っている。そんな日にはボクの持病の肩こりや首こりがいつものようにうずく。もしもこの持病がなかったら人生大きく変わっていたのかもと思うこともある。そもそもこの首こりの問題で自動車の運転が出来なくなった。その当時はかなり落ち込んだ。だからこの持病さえなければいまでも車であちこち行っていたことだろう。週末になれば海やら山やら好きなところにいく。実に自由自適な生活だ。しかしよく考えれば車がなくても海や山には行ける。むしろ首都圏生活では大混雑にまきこまれてしまうのが落ちなのかもしれない。そう考えるとまんざら車に乗れなくてもいいのかもしれないとも思える。しかし車があるとちょっとした買い出しにも便利である。うちの近所には大きな駐車場のあるジャスコイトーヨーカドーもある。しかし沢山買っても家が狭いので備蓄品を置く場所に困る。だからこの点でもあまり車にはメリットがないように思う。それに車を持つことはお金もかかる。それを考えれば歩きまわっている方がよっぽど健康的である。自己分析してみたが、結局は車に乗っていた若い頃が懐かしく輝いて見えるだけなのかもしれない。首が原因で車に乗れなくなったのは仙台に引っ越した時期なので今から20年前になる。それまでの東京暮らしではよくお台場などにドライブしたものである。しかしさまようようにあっちゃこっちゃドライブをするというわけでもなかった。そうか、ドライブのある生活を懐かしく思うのは大阪時代の派手に車を乗り回していた時期が強烈に印象深いからだろう。大阪時代は8年間あって、その間はずっとトヨタカローラにのっていた。トヨタカのローラではない。トヨタカローラだ。車そのものは1代目と2代目の2台のカローラに乗ったことになる。1代目のカローラ広島大学時代の後期、つまり大学4年生のころから乗り始めて大阪に進学してそのまま引っ越しして乗ってきた。大阪には親父と2人で交互に運転しながら山陽道を走ってきた。後ろの席には冷蔵庫と段ボールがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。その何年か後にこの1代目のカローラはエンジンがだめになってきた。その時はどうにもこうにも自分では修理できないので広島の親父(車の整備師である)に診てもらうために山陽道をエンストしながら生還したが、結局は治らなかったので廃車にすることになった。その時は少し悲しい気持ちになったものだ。やはり長年乗り回した車というのには愛着が出てくるものだ。結局は同じような白の少しだけ新しいカローラの中古を親父が見つけてきてくれてそれに乗って大阪に帰ってきた。そんなこんなで大阪時代も終わり近くになって、その車は結局は東京には持っていけないので大阪で廃車にすることになった。この2代目のカローラも激しく乗り回した。どちらも愛着があり過ぎる。だからいまだに車に乗れたらなあと懐かしく愛おしく思うわけである。大阪の思い出の多くは車で行った場所で起こったエピソードがほとんどである。今晩はそのどれかの思い出を夢で見るかもしれない。出来れば楽しい思い出であってほしい。