八転び七起き

はじめましてKRZです。

2021年4月15日

大学院の修士課程のときの研究室の教授はとても厳しい先生だった。だから研究室の先輩たちはみなこぞって怖がっていたし、いつも先生のうわさばかりしていた。大学院に入りたてのボクは先輩たちはなぜそんなにいつも先生のことをしきりに話しているのだろうと不思議で仕方がなかった。なぜかというとまだ研究室に入ったばかりで先生からの直接指導などはまともには受けたことがなかったからだ。そんなよちよちの時期も終わろうとしていた秋のこと、初めてボクは先生からのイカズチ(雷)をまともに食らうことになる。それはたわいもない、本当にたわいもないことだった。先生といつものように表面的な話をしていてボクはうそをついてしまった。うそといってもそれは決定的なうそではなく、知ったかぶりをしただけである。しかしうそはうそである。うそにも証明できるうそと証明できないうそがある。例えば、昨日のテレビでやってたよね、君は見たかい?といわれて、見てもいないけど、知らない見ていないと答えると恥ずかしいと思うことからついつい、「あ、あれだよね。なんかテレビでやってたねえ」と答えることだ。だれにも証明はできない。これを先生に向かってやってしまった。しかしそれはだれでも見ることが出来るテレビの話ではなく、先生しか知らない海外からの特別な情報の話であり、「君はそのことを知っていましたか」といわれて、「あ、あのことですね」的についついこたえてしまったわけだ。先生はご自分だけしか知らないことなのにこの学生は知ったかぶりをしているな、ととても不思議に思われたわけである。こういうときは、厳しくつっこまれても「だれだれ先輩からききました」と言ってうまくかわすこともできる。しかしその時は本当に先生の情報はまだだれにも話されていない話であったわけで・・・。つまりはその日からボクは激しい「猛烈しばき倒し」の洗礼を受けて先輩たちの仲間入りをすることができたわけだ。知らないことを知らないといえば、そんなことを知らないの?と怒られることもあれば、知らないことを嘘までついて知っているふりをすることで無知が露呈されることの方が恥ずかしいことを知っただけの話である。その後に先生から学んだことはたくさんあるが、最初に一番大切なことを教えてもらったと思う。あの時のことは決して忘れないし、いまもしもなにか知っていることが話題になっても知ったかぶりだけはしないようにしている。「あ、知ってます」と軽々しく言うことは、「ボク、無知です」と公然と言うことに近いとも思える。本当に知るということはそれほど奥が深くて難しいことでもあるということだろう。せめて一つのことだけでも極められたらと願う。