八転び七起き

はじめましてKRZです。

2021年6月20日

アマゾンで本を買う方法には4通りある。まず1つ目は、新品の本を普通に買う方法。2つ目は古本を指定して買う方法。3つ目は電子書籍としてのKindle版で買う方法で、最後はオーディブル(朗読)版で買う方法である。前の2つは実物が送られてくるが、後の2つは電子版で、全ての本が電子ファイル化されているわけではないが、かなりの書籍が電子ファイル化されている。電子ファイルだから場所を取らない。最後のオーディブルは聴く書籍だからいちいち老眼鏡をかけて読む必要もない。ボクはそもそも文字を読むのが苦手だ。だからこのオーディブルは実に画期的である。まじで時代は変わったものだ。聴くタイプは昔から全くないわけではなかったが、あってもそのほとんどは有名な文学作品に限られていて、しかもわざわざ個人でその音声テープかCDを買うことはなく、本屋さんでも見かけることもなく図書館においてあるものを見かけるくらいだった。もとは目の不自由なかたや聴くことが好きな人のためにあったのだと思う。そういえばボクも大学生のころに図書館で朗読ボランティアをやっていたことがある。ほんの少しの期間だったので担当したのはたった一人である。それでも半年か1年くらいはやっていたように記憶している。その方は60歳くらいのおじさんで、いつも将棋の棋譜を読み上げるのがボクの朗読である。おじさんはほぼ全盲の方で、いつも杖をついていたが図書館にくることには何も支障がない様子だった。棋譜というのは数字と駒のなまえだけが延々続く。だから文学作品を読み上げるような特別な技術や漢字の知識は全く必要なかった。だから結構退屈のように思われるかもしれないが、意外に面白かった。ボクは何事にも真剣に取り組む性格なのでやると決めたことはだいたいきちんとこなすことが出来る。しかしそれでも間違いというのは起こるものだ。棋譜を読んでいてちょっとした物音でよそ見をして一つ読む列を間違えたりもしたりする。そうすると「あ、そこは読み間違いですね」と教えてくれる。それは同じ棋譜を繰り返したからではなく、きちんと34個の駒の位置が一つたがわずにあたまのなかで記録されていてボクの間違いもはっきりわかるというわけである。そのおじさんはいろいろな物事の変化を音から察知していた。ボクが酷い風邪をひいてガラガラ声のときなどは「声優になれる声ですね」と気遣ってくれた。他にもいろいろなことがあったように覚えている。ひとつの感覚が失われていることで他の感覚や脳の活動がそれを補うようになるのだということを知った。オーディブルを聴いていてそんな昔のことを思いだした。遠い昔のことなのに覚えているものだ。まるで朗読室で読み上げているのが昨日のように思い出される。さて昨夜はまた衝動的にKindle書籍を1冊買った。それをパソコンで読もうと思ってKindleアプリを開くと購入したばかりの本の横に見覚えのある本があった・・・。「あれ、これは先週古本で購入した本やね、これここに実物あるべ・・」、と気が付いた。2番目の方法で購入した古本がなぜか3番目のKindle版でも存在していたという不思議な話である。しかもAmazonからのメール履歴を確認したら確かに半年前に購入していた。そのころにはこの本のことを知らなかったはずなのになぜKindleを購入していたのだろう。世にも不思議な話である。いやまったく記憶がないだけの話だが。